被爆71周年原水爆禁止世界大会開かれる
被爆71周年原水爆禁止世界大会が7月30日福島、8月4日から広島、8月7日から長崎で開催され、千葉から述べ36名が参加しました。
《福島大会》
今年で6回目の福島大会は、全国各地から750人が参加しました。原発事故から5年5カ月が経過し、「除染」しても会場周辺は高い放射線値を示し、事故の収束の目途も、除染廃棄物の処分に関する見通しもたたない福島の状況が報告されました。また、国の避難者に対する補償打ち切り方針や、強制的ともいえる帰還事業を批判し、戻りたいと思う人、戻れない人、戻りたくとも断念した人など思いを様ざまにする避難者に寄り添うことが重要であるとの訴えがありました。クラウディア・ロート独連邦議会副議長(国会議員)からドイツは脱原発政策により再生可能エネルギーの依存が36%に達し、新たな雇用創出にもつながっている状況が具体的に報告され、加えて日本は、日照量が多く、海岸線が長い点、地熱の利用など自然環境に恵まれ再生エネルギーへの大きな可能性を秘めていると指摘、いまだ原発推進の安倍政権が時代遅れであることが強調されました。
《広島大会》
広島大会は、3000人が参加し始まりました。犠牲者への黙とう後、主催者挨拶で川野浩一・大会実行委員長(原水禁議長)はオバマ米大統領が5月に現役米大統領として初めて広島を訪れ演説した意義とともに、深く潜む問題点についても言及、さらに安倍首相の下日本の政府が核廃絶・核禁止に反する動きを強めていることの危険性を訴えました。
松井一寛広島市長など来賓あいさつ後、海外ゲストとして参加しているクラウディア・ロート独連邦議会副議長が登壇。緊迫する世界情勢のなかでの核廃絶の重要性を強く訴えました。続いて高品健二さん(広島県被団協)が被爆者の訴えを行いました。毎年、国連欧州本部を訪ね核廃絶を訴える高校生平和大使から活動やそれぞれの思いが語られ、ヒロシマの被爆者の声や平和を世界に伝え発信していくことを誓いました。最後に元広島市長の秋葉忠利・広島実行委員長の挨拶で閉会しました。広島大会は5日に分科会・ひろばや国際会議、6日にまとめ集会が開かれ、長崎大会に引き継がれます。
《長崎大会》
8月7日から始まった長崎大会には、1,800人が参加しました。大会では、NPT加盟国の非核保有国の中で唯一再処理を認められている日本は、国内外に48トンのプルトニウム(崎型原子爆弾に換算し約6千発に相当)を保有し、そして、「核燃料サイクル計画」を担うとされる六ヶ所再処理工場は23回目の完工延期、高速増殖炉もんじゅは、21年前のナトリウム漏れの事故以降も不祥事が相次ぎ、原子力規制委員会から運営主体の変更も迫られていることが報告されました。朝鮮民主主義人民共和国が核兵器を開発し、日本が48トンものプルトニウムを保有し核保有国になり得る条件を確保している中で、韓国として、再処理を認めるよう米韓原子力協力協定の再交渉で強く要求しています。被爆国日本として、目処も立たず破綻したとしか考えられない「核燃料サイクル計画」プルトニウム利用計画を早期に放棄しなくてはなりません。「廃炉という選択肢は現段階でまったくない」とした馳浩文部科学大臣の主張を許すことはできません。藤本大会事務局長は、「長崎原爆遺跡となる城山小学校は、今日まで、午後7時から9時までライトアップされています。その姿とともに、そこで何があったのかを忘れてはなりません」と大会をまとめました。